初代ウイポの1993年の重賞(30年前の競馬)と2023年現在の重賞を比べてみよう~その②~

投稿日:2023/08/29

前回の続きです。
今回は4月~6月の重賞・・・春競馬の終わりまでです。

4月の重賞

4月の重賞7つ。

スプリングS

旧:スプリングステークス GⅡ 中山 芝1800m 3歳牡馬・牝馬 定量
現:スプリングステークス GⅡ 中山 芝1800m 3歳牡馬・牝馬 馬齢

1952年に創設され、1958年より皐月賞のトライアル競走となる。
負担重量は1958年に別定から定量に、2003年から定量から馬齢へと変化している。クラシックに出走できない騙馬の出走は不可。
ミスターシービー、シンボリルドルフ、ディープインパクトが弥生賞を制して皐月賞に向かい最終的に三冠馬となったのに対して、スプリングSもシンザン、ナリタブライアン、オルフェーヴルが制し三冠馬となった。
全体的に見ても弥生賞と比べると見劣りするかもしれないが、それでも大きく差を開けられているわけでもなく、数多くのクラシックウィナー、そしてGⅠ馬が誕生している出世レースである。
なお皐月賞、その先のダービーといったクラシックだけでなく、1996年創設のNHKマイルカップ(GⅠ)に向かう馬にとっての前哨戦としての役割も持つようになり、近年はこのレースの出走馬が好成績を収めることも多い。
ちなみに競馬番組表では『フジテレビ賞 スプリングステークス』表記。2010年にはフジテレビの番組の企画で製作されたオリジナルファンファーレが演奏された(1年のみ)。

毎日杯

旧:毎日杯 GⅢ 阪神 芝2000m 3歳 別定
現:毎日杯 GⅢ 阪神 芝1800m 3歳 別定

1954年の創設時は6月にダービーの後に開催されていたが、1971年より3月頭に移行。1987年以降は3月後半~3月末にかけての開催となる。
トライアルレースには指定されていないが、日本ダービーに焦点を合わせている馬にとって収得賞金を加算できる大きなチャンスであり、皐月賞への滑り込みを狙う馬にとっては皐月賞への最終切符、『東上最終便』とも言えるレースである。牝馬で言うところのフラワーC的存在。
創設時から2000mで行われていたが、2007年の阪神競馬場改修後からは1800mとなった。

ダービー卿CT

旧:ダービー卿チャレンジトロフィー GⅢ 中山 芝1200m 4歳以上 別定
現:ダービー卿チャレンジトロフィー GⅢ 中山 芝1600m 4歳以上 ハンデ

当時イギリスのトップジョッキーだったレスター・ピゴットらを招待した『英国騎手招待競走』が1969年に行われた際、第18代ダービー卿からトロフィーが送られたことを記念し、翌年1970年から現名称で行われるようになった。
開催地は当初東京だったが1981年より中山に、距離設定も1800mから1984年に1600mに、翌年1990年に1200mに変更される。その後1996年に距離が1600m、2002年には負担重量がハンデとなり現在に至る。開催時期は1989年まで11月末~12月頭、1992年以降は3月末~4月頭開催となった。
GⅢのハンデ戦でありながら、勝ち馬が後に短距離・マイル路線で活躍するケースも多々あり、別定時代もハンデ時代もトップハンデを背おいながら優勝、後にGⅠ制覇を果たす馬も。特にマイラーにとってはそこそこな出世レースと言える。

ちなみにトロフィーを寄贈した第18代ダービー卿エドワード・ジョン・スタンリーその6代父(祖父の祖父の祖父)である第12代ダービー卿エドワード・スミス=スタンリーが、かの有名なイギリスの本家本元のダービーステークスの名前の由来になったダービー伯爵その人である。

大阪杯

旧:産経大阪杯 GⅡ 阪神 芝2000m 4歳以上 別定
現:大阪杯 GⅠ 阪神 芝2000m 4歳以上 定量

1957年に『大阪盃競走』として創設、産経新聞社(及びその前身である大阪新聞社)が賞を提供していたため1964年より『サンケイ大阪杯』、1989年より『産経大阪杯』として行われた(企業名を省略する風潮があるため『大阪杯』の名称もこの頃からよく使われていた)。
創設時は1800mだったが1972年に2000mに変更、開催時期も主に3月〜4月と大きな変動はなかったが、1981年からは3月末〜4月頭で完全に定着する。
長年天皇賞(春)の前哨戦として扱われ、2014年〜2016年の間は優先出走権も与えられていたのだが、肝心の天皇賞(春)は距離が1200mも長いために距離適性的に合わないことが多い。それでも、かつては宝塚記念の評価が現在よりもかなり低く、古馬たちにとっては天皇賞(春)が春競馬最大のビッグレースであったため、中距離馬が距離適性の無理を押して3200mの天皇賞(春)に出走することも多く、そういった馬たちにとっての前哨戦足りえたのが大阪杯である。
天皇賞(春)を狙わない中距離馬でも、春シーズンの中距離路線のレースが少ないために大阪杯の制覇を目標に出走、天皇賞(春)には出走しないパターンがあった。

しかし近年は、中距離馬が無理に天皇賞(春)を狙うのではなく、同時期の海外の中距離GⅠを狙うケースが増えたため、大阪杯は海外遠征前の前哨戦としてよく使われるようになる。そういった現状を受け、有力馬の出走によりレースレーティングも足りていることから、2017年よりGⅠに昇格。春競馬最大の中距離王者決定戦と位置付けられた。
このGⅠ昇格により定量戦に、名称も産経が外れ『大阪杯』になり産経新聞社が優勝杯を提供するのはセントウルステークス(GⅢ(現GⅡ))に、天皇賞(春)の優先出走権が無くなった代わりに中山記念金鯱賞の2つのGⅡに大阪杯への優先出走権が与えられるようになった。

また、大阪杯のGⅠ昇格に伴い、大阪杯・天皇賞(春)・宝塚記念の3レースを同年に制することで褒賞金が出るようになり、俗に言う『春古馬三冠』が成立。しかし先述の距離適性やレースの権威の問題もあり、大阪杯GⅡ時代を含めても未だ達成者はいない(複数年での達成でもメジロマックイーン1頭のみ(GⅡ時代))。
それでも2017年の成立初年度からキタサンブラック大阪杯、天皇賞(春)を制覇し王手をかけ、昨年2022年は大阪杯未出走だったタイトルホルダー天皇賞(春)、宝塚記念を制すなど、いずれ達成者が出そうな雰囲気はある・・・と思う。
そのためにも重要になってくるのがGⅠとしては歴史の浅いこの競走にどれだけの馬が集まるか、といったところなのだが、元々手薄だった春の中距離路線のGⅠであることに加え、中東のオイルマネーに負けじと賞金の増額もあり、海外を目指す馬もいる一方で大阪杯にも年々実力馬が集結するようになっている。
とはいえGⅠ昇格からまだ10年も経っておらず、海外GⅠ制覇もより現実的なレベルになるほどに日本競馬は成長した。無論それは喜ばしいことだが大阪杯も盛り上がって欲しいところである。

クリスタルC

旧:クリスタルカップ GⅢ 中山 芝1200m 3歳 別定
現:廃止

3歳馬短距離路線のための重賞として1987年創設。名前の由来はイギリスにおける4月の誕生石であり、1995年までは4月中旬に行われ、1996年からは3月末~4月頭、2000年からは3月上旬に行われた。
代替開催を除き中山・1200mで行われており、クラシックに向かない3歳短距離馬たちにとって目標となるレースであった。
それに加え、開設当時は海外牧場で生まれ日本に輸入された外国産馬、いわゆる『マル外』がクラシックへの出走が禁じられていたために、彼らにとっても重要なレースだったのだが、1996年にマル外も出走できる3歳GⅠであるNHKマイルカップが創設され『マル外ダービー』として定着。似たポジションであるクリスタルCの価値は低下。

それでもNHKマイルCに向かう馬のローテの一つとして、本競走を制してNHKマイルCに直行したり、間にニュージーランドトロフィー4歳S(GⅡ)を挟んだり・・・と役割自体は確かにあったのだが、2006年の短距離路線の再整備により、当時同じく1200mで施行されていた6月開催のファルコンステークス(GⅢ、現在は1400m、後に一時期NHKマイルCの優先出走権が与えられる)に統合される形で、2005年の開催を最後に廃止となり、ファルコンSがクリスタルCの時期に行われる形になった。
なお『夕刊フジ賞 クリスタルカップ』が競馬番組表での表記だったが、『夕刊フジ賞』は2006年にオープン特別から昇格した3月頭の古馬GⅢオーシャンステークス(中山・芝1200mはクリスタルCと同コース)に引き継がれた。こちらは2014年より高松宮記念の優先出走権が得られるトライアルとなる。

クリスタルCはダイタクヘリオス、サクラバクシンオー、ヒシアマゾンとGⅠ馬を輩出したレースでもあるが、クリスタルCで一番有名なのは競馬ゲームのレジェンド・ダービースタリオン(ダビスタ)シリーズだろう。
スーパーファミコンで発売されたダビスタⅢにおいて初登場した調教や出走登録を自動で行ってくれるシステム『おまかせ調教』を使うと、作中の藤枝調教師がクラシックを狙える素質馬であっても、同週開催の皐月賞を差し置いてクリスタルCに登録してくる(しかも皐月賞への変更不可)という所業を見せ、多くのプレイヤーのトラウマとなってしまった。

「今週のクリスタルカップに
 登録しています」

桜花賞

旧:桜花賞 GⅠ 阪神 芝1600m 3歳牝馬 定量
現:変更なし

イギリスの1000ギニーステークス(GⅠ)を参考に1939年に『中山四歳牝馬特別』の名で創設。
ギニーとはかつてイギリスで使われていたギニア産の金から作られた金貨のことで、第一回の賞金の額が1000ギニーだったことに由来する。
一年で最も早く開催されるクラシック(五大競走)であり、牝馬三冠レースの初戦1999年までは新年最初の中央競馬GⅠであった。
当初は中山開催の1800mだったが、戦後1947年に『桜花賞』に改名し京都開催1600mを経て、1950年からは阪神開催1600mというお馴染みの形になる。
牡馬に比べメンタルが不安定になりがちな牝馬、しかも最も早い時期のクラシックとだけあって精神面がより未熟であることが多く、比較的荒れやすいGⅠレースとも言える。

本レースを制した牝馬は『桜の女王』と呼ばれることが多いが、レース名だけでなく、本レースの開催時期は阪神競馬場内の桜の木が綺麗な花を咲かせていることが多く、市内の桜は既に散っているのに咲いている・・・というケースが多々ある阪神競馬場の桜は度々話題となる。氷水で温度調整をしているという噂もまことしやかに囁かれていたほどだが、実際は造園課の努力と祈りの賜物である。

また、かつてはコース形状的にスタート直後にコーナーを回ることから外枠不利、不利を無くすためのポジション争いによるハイペースになりがちで『魔の桜花賞ペース』とも言われたが、2007年以降は阪神競馬場の改修によりその傾向はなくなり外枠での好走もより期待できるようになった。
個人的には、ファンファーレが生演奏される際に、関西GⅠファンファーレの最後の音に独自のアレンジを加えていたのが好みなのだが、2015年以降の演奏では通常の形となり聴けなくなってしまい残念である。

皐月賞

旧:皐月賞 GⅠ 中山 芝2000m 3歳牡馬・牝馬 定量
現:変更なし

イギリスの2000ギニーステークス(GⅠ)を参考に1939年に『横浜農林省賞典四歳呼馬』として創設。
日本初の常設競馬場、横浜競馬場(通称:根岸競馬場)で芝1850mで施行され、1949年『皐月賞』に改称し中山開催、1950年に2000mとなった。
なお改称当時は5月に開催されていたが、開催時期は少しずつ早くなり現在は4月中盤で定着。最後に皐月(5月)に開催されたのは1974年のことである。

クラシック二戦目牡馬クラシックの一戦目かつ最も牡馬クラシックで距離が短いため「最も速い馬が勝つ」と言われている。
牡馬クラシック二戦目・日本ダービーの2400mという中長距離が走れない馬にとっては、このレースやNHKマイルカップ(1600m)、もしくはその両方を視野に入れているため、彼らによってハイペースに持ち込まれることもあり、独自の形状を持つ中山競馬場も相まって波乱もある。
基本ハイペースだと先行馬が消耗し差しが決まりやすいが、直線の短い中山とだけあって必ずしも決まるとは限らず、中団に付ける先行に近い好位差し、早めに仕掛けるまくりの方が通常の差しより決まりやすい。先行馬にとってもそこまで不利なレースではないのでは。
ちなみに、クラシックには将来優秀な種牡馬や繁殖牝馬となる馬を選定する意味合いがあるため、牡馬クラシックの三レースは牝馬の出走は可能だが、去勢し生殖能力を失った騙馬は出走することができない。

5月の重賞

5月の重賞7つ。

京王杯SC

旧:京王杯スプリングカップ GⅡ 東京 芝1400m 4歳以上 別定
現:変更なし

1959年に『スプリングハンデキャップ』として創設、当初の距離は1600mで(1963年より1800m)2月~3月にかけて行われていた。
1984年からは別定戦となり現名称に。この頃には既に4月末~5月頭(1996年からは5月中旬)という開催時期、距離1400mと後年同様の条件となっていた。
距離的にも安田記念の前哨戦として認知されており、2014年からは優先出走権が得られるようになった。
しかし1400mという短距離とマイルの中間とあって、スプリンターマイラー問わず出走することが多い。

馬券的に言えば近年の傾向としてそこまで荒れるレースというほどでもないのだが、2022年にはギルテッドミラーがゲート内で立ち上がり盛大に出遅れる、一番人気メイケイエールは掛かりまくり制御が効かない、最後の直線では先頭を走っていたリフレイムが外へ外へとヨレまくり失速、メイケイエールが先頭に立つもソラを使って失速しかけるもムチが入って再加速しゴールイン・・・という癖馬大集合レースとなり、翌年2023年は1着と2着が半馬身差、3着~12着までが前の馬と全てクビ差という大混戦だった。1/2クビクビクビクビクビクビクビクビクビクビ・・・。
誰が呼んだか京王杯スリリングカップ。二年連続で珍レースを生み出したが、来年以降は一体どういった戦いが見られるのか。京王杯SCはこのまま珍レース製造重賞として定着してしまうのか!?

フローラS

旧:4歳牝馬特別(オークスTR) GⅡ 東京 芝2000m 3歳牝馬 馬齢
現:フローラステークス GⅡ 東京 芝2000m 3歳牝馬 馬齢

1966年に芝1800mで創設、当初からオークスの優先出走権が得られるトライアル競走として施行。1987年より2000mへ距離延長し、2400mで行われるオークスとの関連をより強めた。
『4歳牝馬特別』は桜花賞トライアルでも同名の競走が既に存在していたため、こちらは『4歳牝馬特別(東)』『4歳牝馬特別(オークスTR)』と呼び区別していた。
2001年の馬齢表記変更に伴い『フローラステークス』に改称。もう一方の4歳牝馬特別も『フィリーズレビュー』となった。
なおフローラSという名称のレースは2000年まで中山・芝1200m・3歳牝馬のオープン特別として1月に施行されていたが、こちらのレースは2001年に廃止、レース名が引き継がれた形だが前身としては扱われなかった。
以前は桜花賞からこのレースを挟んでオークスに向かうローテを使い、桜花賞とオークス共に制した二冠、三冠牝馬もいたが、現在では桜花賞上位でオークスの優先出走権を持っていればオークス直行だろう。
クイーンC、フラワーCなどの牝馬戦重賞を経て出走するパターンが目立つが未勝利、1勝クラスを勝って出走するものも多い。そしてこのレースを経てオークスに向かい好走、優勝する確率は桜花賞からの直行組に次ぐほどである。

ちなみに、もう一つのオークスのトライアル、スイートピーステークス(リステッド・東京・1800m、1991年創設)は距離的なものもあるのかオークストライアルとしてはあまり機能しておらず、かつて『残念桜花賞』と揶揄されることもあった忘れな草賞(リステッド・阪神・2000m、1984年創設)はトライアルではなく1着による収得賞金加算によりオークス出走を目指すパターンになるが、こちらの方がスイートピーSより遥かにオークスでの好走が目立ち、フローラSに次ぐ実質的な関西唯一のトライアル(桜花賞を除く)として機能していると言えるだろう。

天皇賞(春)

旧:天皇賞(春) GⅠ 京都 芝3200m 4歳以上牡馬・牝馬 定量
現:天皇賞(春) GⅠ 京都 芝3200m 4歳以上 定量

1905年のエンペラーズカップ(The Emperor's Cup、皇帝陛下御賞盃)がその起源とされ、そのエンペラーズカップも元は1896年の新冠ステークス(The Niicapu Stakes、新冠景物)がその起源だが、エンペラーズカップの後継である『帝室御賞典』が年二回開催として開催されるようになった1937年秋からを回次として数え、あくまでエンペラーズカップは起源扱いである。
その帝室御賞典が戦後1947年に春開催を『平和賞』として行い、秋開催以降『天皇賞』に改称され現在に至る。
正式名称としては現在も『天皇賞』だけなのだが、1984年に秋開催の距離が短縮されて以降は『天皇賞(春)』と公式からも表記されるようになった。『春天』の愛称でもよく呼ばれる。
1941年以降天皇陛下から賜った木製の盾が優勝した馬主に送られるようになり、この『盾』は天皇賞を象徴するワードとして定着。『春の盾争奪戦』や『平成の盾男武豊』などの表現も多々見られる。
クラシック同様に種牡馬選定の観点から創設以来より騙馬の出走は不可能だったが、2008年より騙馬も出られるようになった。

国内GⅠ最長距離国内重賞で3番目に長い距離のレースであり、世界中の長距離GⅠを見わたしても、現存するイギリス最古のレースであるゴールドカップ(アスコット金杯)の19ハロン210ヤード(約4014m)、フランス伝統のレース・カドラン賞の4000m、あと天皇賞(春)とほぼ同等の距離で近年GⅠ昇格したイギリスの歴史的な長距離戦グッドウッドカップの2マイル(1マイル1600m換算なら天皇賞(春)と同じ3200m、実際には約3219m)、これに次ぐのが3200mのオーストラリア最大のレースであるメルボルンカップ、それに対抗し秋に同距離で行われるシドニーカップという互いに歴史の長い競走、そして天皇賞(春)である。
そんな世界でも確実に5本の指に入る長距離戦、日本においても長い歴史を持つ伝統の盾は、長年春競馬シーズンの古馬にとって最大のレースとされてきた。
当然ながら3200mの距離を走り切る強靭なパワー、そしてスタミナが求められるため、かつては本当に強い馬が順当に勝つ、波乱の起きにくいレースの一つだと言えたが、おおよそ1970年代ぐらいからはスタミナ型の名馬がスピード型の名馬に破れることも多くなり、スタミナよりスピードを求める方向性に競馬界がシフトした結果長距離の権威が日本でも世界でもなくなってしまい、以前のような純然たるステイヤーは年々姿を消し今では希少な存在となってしまった。故に3200mという距離に適していない馬も多くなり、実力者が距離の壁で沈む波乱も起こりやすくなったと言える。
そしてそれを恐れて天皇賞(春)を回避することも増え、現役最強クラスは中距離路線だろうと出走していた20世紀までの風潮とは変わってきている。

京都競馬場名物の高低差4.3mの『淀の坂』を二回上り下りするため非常にハードで過酷なレース、2023年には2頭競走中止になってしまったのも今後影響するだろう、かつてほどの権威は失われ実力馬の出走も増えず復権も中々難しいと思うが、それでも伝統の一戦、ステイヤーたちにとっては最大のレースである。

距離適性による適材適所のレース選択が増えたが、このレースを制した上で中距離~中長距離でも強さを見せる、距離に縛られない強さを持った馬もいなくなってしまったわけではない。2022年の優勝馬タイトルホルダーもこのあと宝塚記念を制したのだから。

2017年からは大阪杯のGⅠ昇格により春古馬三冠が成立するようになった。しかしその最大の壁はやはり天皇賞(春)の距離の壁。いずれ達成者は現れるかもしれないが、ステイヤー不足で天皇賞(春)のレベルが落ちてしまったら、せっかくの大記録にもケチが付いてしまうし、単なるマグレで終わってしまうかもしれない。
伝統の春の盾を制す者はマグレで勝つのではなく、真の実力で強く勝って欲しい。今後とも伝統あるレースとして距離の変更もグレード降格もなく、名馬たちが誕生するレースであって欲しいと願うばかりだ。

NHKマイルC

旧:NHK杯 GⅡ 東京 芝2000m 3歳 定量
現:NHKマイルカップ GⅠ 東京 芝1600m 3歳牡馬・牝馬 定量

当時と現在でまったく立ち位置が変わってしまったレースであり、実質的に別のレースであるとも言える。
元々のNHK杯は、日本ダービーのトライアルレースとして1953年に創設。創設一年目から勝ち馬がダービー馬になり、特に創設から30年ほどは勝ち馬の多くがダービー馬になり、以降も2着馬以降からダービー馬を輩出し続けた、優秀なトライアル競走だった(現在の感覚なら皐月賞から直行しているような馬たちが本レースを叩きによく使っていたとはいえ)。

1996年、中距離以上は厳しいが短距離適正のある3歳馬の目標となるレースとして、NHKマイルカップが創設。これによりNHK杯がNHKマイルCになった・・・という形ではあるが、距離も違えば回次もリセットされてしまったので純粋にNHK杯が条件を変えて改称した、というわけでもない。しかしNHKマイルCの前身として扱われる。
本来であればNHKマイルCと同様に東京・芝1600mで行われていたニュージーランドトロフィー4歳ステークス(GⅡ)をGⅠ昇格させた方がしっくりくるのだが、ダービートライアルとして名を馳せていたNHK杯の方が同じGⅡでもより格の高いレースであったため、こちらをGⅠ昇格させたほうがふさわしい、ということだろう。
結局そのニュージーランドT4歳SはNHKマイルCのトライアル競走に指定され開催時期を前倒し(当時はNHK杯の後に行われていた。なおNHKマイルCの開催時期はNHK杯時代と変わらず)、2018年以降はアーリントンCにも優先出走権が与えられる。
また、NHK杯の持つダービートライアルとしての役割は、前年1995年からダービートライアルに指定されていた青葉賞(GⅢ(現GⅡ)・東京・2000m)、1996年に新設されたプリンシパルステークス(オープン(現リステッド)・東京・2200m(現2000m))に引き継がれることになった。

NHKマイルC創設当初は外国産馬にクラシックの出走資格が与えられていなかったことから『マル外ダービー』として多くの外国産馬がこのレースを最大目標に定めたのだが、2001年のダービーと菊花賞を皮切りに、年々マル外にクラシックが解放され2004年には全てのクラシックに出走が可能となり、当初は2頭しか認められていなかった出走可能頭数も2010年には9頭にまで拡大されていくと、NHKマイルCは本来の目的であった3歳短距離・マイル路線の王者決定戦、『マイラーのダービー』として機能するようになった。なおクラシック同様に騙馬の出走はできない。
余談だが、本家イギリスのダービーは創設当初マイル戦であり、皐月賞(2000m)の元となった2000ギニーもマイル戦(皐月賞以外のクラシック4レースの距離は英国クラシックとほぼ同一距離(ヤーポン法の影響で若干違うが))。
そう考えるとNHKマイルCがクラシックに準ずる扱いなのは説得力がある。マイラーのダービーと言うより、実質的な日本版2000ギニーとも言えなくもない・・・のでは・・・?(Japanese 2000 guineasとされているのは皐月賞だが)

このレースで取り上げるべきなのは松田国英調教師が使用したことで有名な通称『松国ローテ』である。NHKマイルCの1600mから日本ダービーの2400mという、異なる距離適性が必要かつローテ間隔が狭い両GⅠレースを制覇することを狙い、さらに可能であればNHKマイルCの前に皐月賞の2000mを挟む・・・という過酷なローテーション。
このローテでの最大の成功は2006年のキングカメハメハ。NHKマイルC、日本ダービーを共に制し『変則二冠』と呼ばれることになった。松田厩舎以外では2008年のディープスカイも同様に両レースを制した。
しかしこのローテの代償は大きく、上記2頭どころかこのローテでどちらかのレースを制した馬たちは全て屈腱炎を発症し引退。他の馬たちも同様でこのローテを使ったほとんどの馬が壊れてしまったのである。

だが、このローテーションの真意は「早熟性のある優秀な馬にGⅠタイトルを取らせ、評価を高めた状態で早期の種牡馬入りを狙う」ことにある。そのためには怪我も辞さない、種牡馬価値を高めるほうが馬にとっても最良。そういう発想である。特にキングカメハメハは種牡馬としてあまりにも大きすぎる貢献をしてみせるなど、目的は完璧なまでに、いやそれ以上に果たしている。
長く現役を続け多くの賞金を稼ぎ、健康で無事に引退することも一つの正解だが、競走馬改良、馬産の観点で見れば、長く現役を続けることは種牡馬としての活動期間が短くなってしまうし、代を重ねてよりよい競走馬を作ろうとするには一年でも早く種牡馬入りすることが正解だ。海外の競馬大国もこういった考えが主流である国は多い。シンジゲートによる種牡馬ビジネスも時にレースの賞金を遥かに超える巨大産業にもなる。
現在では松田師も使わず、競馬界全体を見てもほとんどまったく使われなくなった松国ローテ。悪として語られることが多いが、一概に悪とはいえない、完璧な正解の無い問いなのである。
過酷なローテが使われにくくなった現在も、3歳世代GⅠであるNHKマイルCには、クラシックと比較すると様々な路線の様々な目的を持った馬たちが集いやすいレースと言えるし、故に予想の立てづらいレースの一つではないだろうか。

最後に、このレースの目玉の一つとして、関東GⅠファンファーレが『NHK交響楽団とその仲間たち』によって生演奏される(その仲間たち、に一抹の不安を覚えるかもしれないが、N響の正団員以外も含まれているということ。当然上手いぞ!)。
関東GⅠファンファーレを作曲したすぎやまこういち、そしてN響のタッグといえば『交響組曲ドラゴンクエスト』シリーズでもお馴染み。そんなN響による、打楽器を使わず普段よりスローテンポで演奏される『聴かせる』ファンファーレは年一の名物である。

京都4歳特別

旧:京都4歳特別 GⅢ 京都 芝2000m 3歳 別定
現:廃止

1955年に創設。3年ほど別の距離が設定されたがそれ以外は2000mで行われた。
優先出走権はないものの、当初より関西における日本ダービーの前哨戦の役割で、ここで収得賞金を積みダービー出走を狙うことが慣例となっており、ダービーにおける『東上最終便』と呼ばれた。
・・・のだが、勝ち馬どころか出走馬からダービー馬は廃止まで一頭も現れなかった。1983年は開催50周年の『ダービー記念』の副題までついたのに・・・
1999年まで開催されていたが、2000年からは菊花賞トライアルであった京都新聞杯(GⅡ、2000年のみGⅢ)の開催が秋から春の開催になり京都4歳特別のポジションに収まったため、京都4歳特別は廃止となった。
また『毎日放送賞 京都4歳特別』が番組上での表記だったが、毎日放送賞はスワンステークス(GⅡ、2014年よりマイルチャンピオンシップのトライアルに、現在は毎日放送賞から『MBS賞』に改称)へ変更された。
・・・ダービー馬が一頭も出なかった本競走だが、皮肉なことに役割を引き継いだ京都新聞杯が春開催となった2000年その年に、勝ち馬がダービー馬になってしまった(アグネスフライト)。
とはいえ京都4歳特別もあのオグリキャップが勝ったレースとして自慢できるかもしれない・・・多分。

安田記念

旧:安田記念 GⅠ 東京 芝1600m 4歳以上 定量
現:安田記念 GⅠ 東京 芝1600m 3歳以上 定量

日本ダービーの生みの親であり日本競馬の父とも呼ばれる、日本中央競馬会(JRA、当時の略称はNCK)の初代理事長、NCK以前の日本競馬会の理事長も務めた安田伊左衛門
その功績を讃え1951年に『安田賞』として創設、安田伊左衛門の死去により1958年から『安田記念』に改称された。
元々はハンデ戦だったが1984年のグレード制導入に伴いGⅠに格付けされると定量戦に。
距離は一年だけ1800mで行われたがあとは全て1600mのマイル戦。1984年~1995年までは5月中旬のオークス前の開催のため4歳以上の古馬限定戦だったが、1996年からは日本ダービーの翌週である6月頭に開催されるために出走条件は1983年以前の3歳以上に戻された。1983年以前も主に6月開催だった。

上半期、春のマイル王決定戦であり、秋開催のマイルチャンピオンシップと合わせ春秋マイルを形成する。快足自慢のマイラー、スプリンターが集う、世界でも有数のマイルGⅠとなっている。
マイル王決定戦とは言うが、近年はダービー卿CT、トライアルであるマイラーズCの距離1600mという純然たるマイル戦からだけでなく、1400mのトライアル京王杯SCから、1200mの春のスプリントGⅠ高松宮記念といった短距離路線から、そして安田記念と同距離同コースの牝馬マイルGⅠ(かつ春古馬牝馬女王決定戦)であるヴィクトリアマイルからの参戦が多く、特に近年はヴィクトリアM組の牝馬の好走が光る。また実力差はあるもののNHKマイルC組の3歳馬の挑戦もある。
大阪杯のGⅠ昇格以前、海外中距離GⅠ遠征が盛んでなかった頃は、宝塚記念ではなくこちらを春競馬の最終戦として参戦してくる中距離馬も今よりいたほか、2005年~2011年はアジアマイルチャレンジという国際競走シリーズに組み込まれていたためボーナス賞金を狙い短距離大国・香港からの刺客もいた。なおアジアマイルチャレンジの終了後も日本馬のモーリスが2016年にチャンピオンズマイル(GⅠ、沙田競馬場(香港)、芝1600m)を制してから安田記念に向かっている(2着)。
春競馬の東京開催の中で最も遅く開かれるGⅠ、かつ関東が梅雨入りするかしないかのタイミングが重なるため、馬場状態が悪くなりやすいぶん、レースも芝と天気同様の荒れ模様になってしまうことも。

京阪杯

旧:京阪杯 GⅢ 京都 芝2000m 4歳以上 ハンデ
現:京阪杯 GⅢ 京都 芝1200m 3歳以上 別定

2200mのハンデ重賞『京都特別』として1956年に創設。1961年より現名称に。
競走条件は度々変わるものの、創設から2005年までは距離1800m~2200mの間で距離設定されていたことから分かるように、中距離路線に位置付けられた重賞競走として長年定着していた。
開催時期も度々変わり、当初は9月~11月の間と秋のレースだったが、1984年から1996年の間は5月中旬での開催となったことで、大阪杯(GⅡ)と宝塚記念(GⅠ)の間の時期に開催される古馬中距離路線のレースだった。
1997年に11月後半開催に、2006年に短距離路線の整備により1200mのスプリント戦となる。一時期コロコロ別定に変わったりハンデに戻ったりを繰り返していた負担重量も、距離短縮以降は一貫して別定戦になった。
現在はジャパンカップ(GⅠ)と同日開催の京都最終レースとして開催され、この日が京都競馬場の開催が最終日になるため、一年で最後の京都競馬場の重賞にして年内最後の京都でのレースとなっている。
京都競馬場だけでなく全体としても、芝1200mで行われる重賞競走は年内でこれが最後。9月末~10月頭のスプリンターズステークス(GⅠ)に出走するも振わなかった馬が巻き返しを図るケースもあるが、条件戦から抜け出したり前走の成績が良かった来年の飛躍を目指す上がり馬たちが好走、勝利することも多い。

6月の重賞

6月の重賞6つ。

優駿牝馬(オークス)

旧:優駿牝馬(オークス) GⅠ 東京 芝2400m 3歳牝馬 定量
現:変更なし

本家イギリスのオークスステークス(エプソムオークス)を参考に1938年に『阪神優駿牝馬』の名で創設。
1946年に開催地が東京になり『優駿牝馬』の名に、1965年から『(オークス)』が副題として入るようになった。
ちなみにオークスとは英オークスSを創設した第12代ダービー卿の別荘の名が由来で、その別荘の名は樫の木(oak)が生い茂る土地にあったことが由来である。そのため日本ではオークスの勝者を『樫の女王』と呼ぶことが多い。
第一回は2700mで行われたが第二回からは2450m、1943年の第六回からは2400mの距離設定。
開催時期は1952年まで秋開催だったため、牝馬クリフジダービー、オークス、菊花賞の三競走を制すという荒業を成し遂げ『変則三冠』と呼ばれた。
1953年からは現在のように5月中旬、ダービーの前週に行われるようになったため、ダービーとの同時制覇は事実上不可能と言える難度となった。
クラシック第三弾牝馬三冠二戦目にして、牝馬限定戦GⅠでは最長距離。立ち位置的には牝馬のダービーとも言われるが、菊花賞のようなスタミナのある『強い』馬が勝つ、それでいて牡馬にも対抗しうるスピードを持ちあわせた、バランスの取れたまさしく世代最強の牝馬を決める意味合いの強いレースだと思う。

牝馬は牡馬に比べ長距離を走るスタミナが無い、ステイヤーが少ない・・・とも言われるが、過去の例、海外の事例を見ると一概にそうとは言い切れないかもしれないし所説ある。現代の日本競馬に牝馬ステイヤーが少ないのは事実だが(そもそも牡馬ステイヤーですら長距離の価値が昔ほどないので、絶対数も少ない・・・)。
ただ少なくともオークスの話に限って言えば、一番のポイントは距離そのものより桜花賞との距離の差。2400mという中長距離が牝馬にとって長いのかどうかではなく、桜花賞の1600mから800mの差があるということが重要だ。
牡馬であればダービーが2400m、皐月賞が2000mなので400mの差しかなく、皐月賞に出走していなくてもトライアルで2000m、ないし1800mを走っていれば距離の差は最大でも600m。
しかし牝馬は桜花賞の1600mに照準を合わせてしまうと牡馬よりも大きい800mの距離の差が生まれてしまうし、それに対してオークスの前哨戦として好走の期待できるフローラS(トライアル)、忘れな草賞は距離2000mで400mの差と牡馬と同じ距離の差にまでできる。距離1800mのスイートピーS組がオークストライアルなのに本戦で苦しむのはそういった理由もあるだろう。
ただし当然実力馬は桜花賞も狙ってくる。実力のある桜花賞組が自力で勝つのか、それとも桜花賞を捨て距離適性を考えオークスを獲るために仕上げてきた別路線組が勝つのか・・・というのがポイントとなってくるレースだろう。
近年は人気上位馬が人気通りに上位に食い込み勝利することが多いので、そういう意味では荒れにくいが、人気薄の馬が2着に入る『紐荒れ』は十分に考えられる。

東京優駿(日本ダービー)

旧:東京優駿(日本ダービー) GⅠ 東京 芝2400m 3歳牡馬・牝馬 定量
現:変更なし

当時衰退傾向にあった日本の競走馬生産。これを食い止め、馬産を奨励するための高額賞金の大競走として、本家イギリスのダービーステークス(エプソムダービー)を参考に1932年に『東京優駿大競走』の名で創設された、歴史あるレースである。クラシック第四弾牡馬クラシックの二戦目にあたる。
『日本ダービー』という愛称は第一回時点からメディアでは頻繁に使われており、競走名は何度か細かい変更があったが、1950年からは副題として正式に『(日本ダービー)』が入るようになり、1964年から現在の名称となる。ちなみに本家である英ダービーSの名前は創設者の一人だった第12代ダービー卿の名から取られている。

間違いなく競馬関係者にとって最も特別なレースが日本ダービーである。通年開催である競馬は、新年で区切ったり、春競馬・夏競馬・秋競馬の開催で区切ったりして一年と捉えることもあるが、日本ダービー開催の翌週から古馬と3歳馬が同じレースで走れるようになり、2012年からは2歳馬による新馬戦の開催もダービーの翌週から始まるようになったため「ダービーからダービーへ」「ダービーに始まりダービーに終わる」などといった、日本ダービーが一年の区切りであるという考え方も競馬関係者を中心に根強い。

それほどまでにこのレースが重要視・神聖視されているのは、長い歴史、高い賞金(1970年までは国内最高賞金、現在は三位)、古馬のレースと違いクラシックは一生に一度しか出れない特別なものである(人間で例えるとプロ野球と甲子園の関係に近い)などといった理由もあるが、個人的には日本競馬の成り立ちと当初の目的が影響しているのではと感じる。
王族・貴族が自らの権威を示すために誇りを賭けて戦う海外競馬は理想主義とも言えるが、戦前の日本競馬には優秀な軍馬を生産するという現実主義な目的があった。
その目的を果たすには、軍馬改良のための優秀な種牡馬を選定する必要があったので、近代競馬発祥国の伝統ある一戦を模範とした競走・・・つまりダービーを開き、ダービーに勝った馬には優秀な種牡馬となる可能性が高い、という評価が与えられた。
その馬に携わる者たちにとっても、ダービーの勝利で得られるものは大きかった。
生産牧場及び生産者にも最大級の賛辞が送られるし、さらには勝利に導いた騎手や調教師ら関係者も称えられ『ダービージョッキー』『ダービートレーナー』といった称号を手にすることができ、馬の所有者にも多額の賞金が送られる・・・。
しかし『ダービー馬』の誕生は年にわずか一頭だけ。それでも栄誉を受けるべくホースマン達は理想を追い続ける。
現実主義の日本競馬に欠けていた『理想』と『誇り』という競馬の本質を与えたレース、それが東京優駿、日本ダービー。だからこそ日本競馬においてダービーは今も特別な存在として位置付けられている・・・。それが僕の持論だ。

そんな競馬の祭典である日本ダービーは「最も運の良い馬が勝つ」と言われている。これは元々イギリスの本家ダービーの格言であり、基本的に日本のダービーは人気上位馬で決着する、強い馬が順当に勝つことが多く、そこまで荒れるレースではない。
ただ、1992年以降フルゲート18頭で争われることになったが、一時期はフルゲート36頭という凄まじい数の馬が出走することができ(実際には直前での出走回避もあるので1953年の33頭出走が最多)、レース序盤で前の方に陣取らないと勝ちようがないことを指して『ダービーポジション』という言葉も生まれたほどで、この頃ならまだ運の良さもレースに影響しただろう。
しかし昔も今もその中で栄冠を手にするのは一頭だけ。そもそもこの晴れの舞台に立てるだけでも全体の1/100以下の馬しかいない。
そして先述の通りダービー馬の称号は他の何物にも代えがたい、永久に誇れるものであるし、そういう意味で言うなら今でも優勝した馬は『最も運の良い』存在かもしれない。

実力馬が勝つ=前走皐月賞組が総じて優秀ではあるが、青葉賞、プリンシパルSのトライアル組、京都新聞杯組などもこのレースに勝つために調整をしているし、ダービーに勝つためだけに生まれてきた、としか形容できない、ダービー以外でまるで活躍できなかった馬が勝ち名乗りを上げることもある。
それでもトライアルでありながら未だに前走・青葉賞、プリンシパルSからはダービー馬は誕生していないため(特に青葉賞に関してはダービーと同コースなのにも関わらず)、傾向というのは確実にあるのだが、今年2023年には「テン乗り(その馬に初騎乗すること)ではダービーに勝てない」というジンクスをタスティエーラダミアン・レーン騎手69年振りに打ち破った。
2007年にもウオッカ64年振り、史上3頭目となる牝馬のダービー制覇、史上初となるタニノギムレットととの父娘ダービー制覇を成し遂げ夢を叶えた。
ジンクスはいつの日にかは破られるはず。新たなダービー馬の誕生、新たな伝説が刻まれる瞬間をこれからも見届けていきたいものである。

ちなみに『ダービー』と名の付くレースは世界各地にも存在するが、日本の地方競馬においても『ダービーシリーズ』(旧名:ダービーWeek)として、各地域毎にダービーが存在し、各地でダービー馬が毎年誕生しており、ダービーシリーズとは別に唯一中央のダート馬が出走できるジャパンダートダービー(JpnⅠ(国内GⅠ)、通称:JDD)が存在し、このJDDが中央のダート馬にとっての3歳世代最強決定戦だった。
しかし来年2024年からは3歳ダート路線が整備され、これまで南関東競馬(浦和、船橋、大井、川崎)四場の『南関東クラシック三冠』などと呼ばれていたレース(羽田盃東京ダービー、JDD)が全てJpnⅠに昇格、中央馬にも開放されることになり、『3歳ダート三冠』が新たに成立する予定。
これに合わせてダービーシリーズは2023年をもって廃止。JDDも『ジャパンダートクラシック』に改称予定であり、さらには「ダービーと名の付く競走を各地方で使ってはならない」という噂もあり、来年地方競馬のダービーは東京ダービー以外無くなってしまう可能性がある。少し寂しい。
そんな現行の制度が終わる区切りの年である2023年、来年から3歳ダート三冠となるため最後の南関東三冠となった羽田盃、東京ダービー、JDDを、大井所属ミックファイアが全て制し、現行の体系になってから史上初、そして現体系最後となる唯一の無敗の三冠馬となった。

NZT

旧:ニュージーランドトロフィー4歳ステークス GⅡ 東京 芝1600m 3歳 定量
現:ニュージーランドトロフィー GⅡ 中山 芝1600m 3歳牡馬・牝馬 馬齢

通称:NZT(NZT4歳S)。ニュージーランドT表記も見かける。
ニュージーランドのタウランガ競馬場を運営する団体ベイオブプレンティレーシングクラブ(現レーシングタウランガ)から優勝杯を寄贈され、交換競走として1971年創設された『ベイオブプレンティレーシングクラブ賞グリーンステークス』が前身である。タウランガ競馬場でも『ジャパン/ニュージーランド国際トロフィー』が行われる。
1983年に『ニュージーランドトロフィー4歳ステークス』として新設され交換競走の役目を引き継ぎ、1984年のグレード制導入でGⅢに格付けされ、1987年よりGⅡに昇格した。

当初は5月末~6月頭に行われる1600mのマイル戦で、ダービーの翌週に開催されていたことから、ダービー(もしくはオークス)に何らかの理由で出走できなかった馬(収得賞金が足りず純粋に出られない、2400mという距離に不安があったなど)が出走する、いわゆる『残念ダービー』の一種だったが、3歳限定GⅡの中では賞金が高かったこともあり、制度上クラシックに出れない外国産馬は本レースを最大目標にすることが多かったため、『残念ダービー』言えどもそこまでレベルが低いというほどでもなく『マル外ダービー』や『マイラーのダービー』としてのプラスのイメージも強かった。
1996年に同距離・同コースで行われるNHKマイルC(GⅠ)が創設されたことにより、NZT4歳Sの役割はNHKマイルCが引き継ぎ、NZT4歳SはNHKマイルCのトライアルとして、4月末に行われる1400mのレースとなった。
2000年からは中山・1600mで4月頭の開催になり、2001年には馬齢表記の変更により現名称に改称、2003年より負担重量が馬齢となる。

当初はNHKマイルCのトライアルとしてしっかり機能し、二年連続で本競走勝ち馬からシーキングザパール、エルコンドルパサーというNHKマイルCを勝った上に海外GⅠまで制した名馬が生まれたものの、中山移転後はコースの違いのせいかNHKマイルCで苦戦することが多くなってしまった上、2001年にダービーがマル外に解放されると、高い実力を持ったマル外がNHKマイルCを狙わずダービーを目指す=NHKマイルCトライアルである本競走にも出走しなくなってしまう。
さらに皐月賞や桜花賞からトライアル、ステップレース(前哨戦)を挟まずNHKマイルCに直行するケースも増え、2018年からトライアルに加わったアーリントンCを経由した組のほうがNHKマイルCで好走するようになったこともあり、有力馬の出走が少なくなりレベルが下がってしまい、遂にはNZTはGⅢ降格の危機を迎えてしまう。
なんとか2022年度はレースレーティングが足りたのでひとまず降格はなくなり、2023年には本競走の3着馬シャンパンカラー、2着馬ウンブライルがNHKマイルCでワンツーフィニッシュで汚名を晴らした形になったが、この先どうなっていくのかはまだ分からないだろう。

阪急杯

旧:阪急杯 GⅢ 阪神 芝1400m 3歳以上 ハンデ
現:阪急杯 GⅢ 阪神 芝1400m 4歳以上 別定

1956年まで開催されていた『阪神記念』を前身とした『宝塚杯』として1957年創設、1960年から現名称となる。
距離の変更がかなり多いレースで、2200mで創設も短縮されたり延長されたりを繰り返し、1972年以降は1600m、1981年以降は1400mと、徐々にマイル・短距離路線のレースとして定着していく。
1996年に中距離だった高松宮杯(GⅡ)が短距離GⅠとなる(1998年より高松宮記念に改称)など、短距離路線の整備があり、阪急杯も同年から1200mに変更され、明確に短距離路線のためのレースとして割り当てられた。
翌年1997年には6月頭開催だったのが前倒しになったため4歳以上の古馬限定戦に、2000年からは創設以来ハンデ戦だったものが別定戦となり2月末~3月頭の開催として定着することになり、以降は高松宮記念の前哨戦という立ち位置となった。2014年からはオーシャンS(GⅢ)と共に高松宮記念のトライアルに指定される。
なお2006年からは距離が1400mに戻り、現在は別定の条件も収得賞金から重賞勝利の別定に変化している。

エプソムC

旧:エプソムカップ GⅢ 東京 1800m 3歳以上 ハンデ
現:エプソムカップ GⅢ 東京 1800m 3歳以上 別定

1983年に日本ダービーの開催が50周年を迎えたのを記念し、日本ダービーの舞台である東京競馬場と本家イギリスのダービーの舞台であるエプソムダウンズ競馬場が姉妹提携を結び、東京競馬場の桜、エプソム競馬場の柏(イングリッシュオーク、つまりオークスの語源でもある樫の木の一種)を相手の競馬場に記念植樹、さらに記念杯を交換した。
そして翌年1984年より、日本ではエプソムカップが創設、エプソム競馬場でも東京トロフィー(JRA Condition Stakes)が創設され、記念杯を用いた交換競走となった。
当初はハンデ重賞だったが、1996年より収得賞金による別定に変更。距離や開催時期などその他の条件は変わっていない。
距離的にマイル~中距離路線の馬の出走が多く、現在では東京競馬場で5週連続GⅠ(NHKマイルC、ヴィクトリアM、オークス、日本ダービー、安田記念)が開催された翌週の開催とだけあって、これらのレースに出走が叶わなかった馬、特にヴィクトリアMや安田記念に出走できなかった古馬が基本的に出走する形となりがち(前走ヴィクトリアMなどの馬が巻き返しとして出走することもあるが)。
収得賞金を積み、秋のGⅡ、さらにはGⅠを狙うべく戦う大事なレース。特に4歳馬の活躍が目立つこともあり、遅咲きの一流馬がここから生まれることを期待したい一戦だろう。

宝塚記念

旧:宝塚記念 GⅠ 阪神 芝2200m 3歳以上 別定
現:宝塚記念 GⅠ 阪神 芝2200m 3歳以上 定量

1956年に当時の日本中央競馬会理事長である有馬頼寧が『中山グランプリ』(後の有馬記念)を創設し人気を博したことを受け、阪神競馬場でも有馬記念のようなレースを、ということで1960年に創設されたのが宝塚記念である。
有馬記念を参考にしているため、有馬記念同様にファン投票を行い、宝塚記念に登録した馬の中から人気上位10頭が優先的に出走できる、春競馬を締めくくる最後のGⅠ『春のグランプリ』である。春競馬だが時期的には夏なので『夏のグランプリ』と形容されることもあるし、JRA製作のCMでは『灼熱のグランプリ』と表現されたこともあった。
(本来『グランプリ』という言葉は有馬記念の創設時の名称から来ており、狭義のグランプリは有馬だけなのだが、先述の通り宝塚は有馬を意識して作られているため、現在では宝塚もグランプリとして扱うケースはJRA公式含め多い。だが純粋にただ『グランプリ』とだけ言ったら有馬を指すことがほとんど)
第一回から中距離として位置づけられ、1966年の第七回からは2200mで定着。1996年まではGⅠであるにも関わらず負担重量が別定扱いだったのだが、これはもし開催時期が変更されても負担重量が変わらないようにするための意図的な措置であり、実質的な定量戦、及び馬齢戦だった。1972年~1995年までは基本的に6月頭の開催だったが、2000年からは一貫して6月末の開催となる。
2016年までの大阪杯GⅠ昇格前は唯一の春の中距離GⅠであり、2017年以降は春古馬三冠の最終戦となった。
1999年からは公募によって選ばれた宝塚記念専用のファンファーレが演奏されるようになり、より一年に一度の祭典として盛り上がるレースとなった

・・・のはつい最近の話。昔は宝塚記念はあまり重要ではないレースとして認識されていた。
五大競走とも言われる3歳馬限定のクラシック、クラシックに加え4歳以上の古馬でも出られる春秋の天皇賞と有馬記念を加えた八大競走というのが、1984年にグレード制が導入されるまでの大レースだったのだが、宝塚記念は有馬記念と創設年もそう変わらないのにも関わらず八大競走にはカウントされていなかった。
それでも昔はローテ間隔が狭かったこともあり、天皇賞(春)からこのレースに参戦する名馬もいたにはいたのだが、とにかく出走頭数が揃わなかった。1977年は当時の名馬『TTG』の三頭、トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスが出走し一着から三着までを独占したが、この時はわずか6頭立てであった。1961年の第二回に至ってはなんとわずか4頭立てである。
彼らにとっての最大目標は八大競走にカウントされている春秋の天皇賞であり、有馬記念であった。天皇賞が勝ち抜けだった1980年までは、天皇賞に勝ってしまうと目標は有馬記念ただ一つだけになった。そうなってしまったら引退か、海外遠征か・・・そんな考え方もあった。
1984年のグレード制導入時には最上位のGⅠに位置付けられ、以降は古馬王道路線を往く者にとっては出るべきレースの一つとして年々定着しつつあったのだが、それでも古馬にとって春競馬最大のレースは天皇賞(春)であるという考えは中々変わることはなく、どこか格落ち感の否めないGⅠだったのは間違いない。
春競馬の締めくくりということはそれだけ芝が荒れているということである、そこに梅雨の影響を受け馬場状態がさらに悪化する可能性が高い、そこに気温や湿度の高さも加わる、3歳馬にとってはクラシックとの両立がキツい・・・などといった、悪条件になりやすく馬に負担がかかりやすい。こういった負の側面も宝塚記念の成長を妨げていた。

だが近年は風向きが変わってきた。これまで古馬にとって春競馬の最大の目標であった天皇賞(春)を中距離路線の古馬は距離適性的な問題で避けることが多くなり、その代わりに海外中距離GⅠに活路を求めたり、2006年に新設された牝馬GⅠヴィクトリアM、2017年にGⅠ昇格した大阪杯などを目標にする古馬が増えた結果、宝塚記念はローテ間隔的にそういったレースの後に出やすい、夏の放牧前最後のレースとして使いやすいレースとして出走馬が集まるようになったのだ。例え天皇賞(春)に出走したとしても2000年以降は開催時期が以前より遅くなったことでローテ間隔が広くなったのも好都合だった。
2022年、2023年と二年連続で、これまでなかったフルゲート18頭を超える20頭の出走登録があり、遂に豪華メンバーの集う真の春競馬の祭典となりつつある。

宝塚記念を象徴する言葉、「私の夢」。競馬実況のレジェンド・杉本清が宝塚記念の際に使っていた名物。
「今年もまた、あなたの、そして私の夢が走ります。あなたの夢は○○か、○○か」と有力馬の名前を挙げつつ、最後には杉本自身の本命を「私の夢は○○です」と発表する、贔屓実況スタイルを確立した杉本アナらしいフレーズだ。
僕の夢・・・当然それは出走馬が変わればその都度変わる。だが今後とも有力馬が集い、春競馬を盛り上げた優駿たちによる夢のドリームレースらしい一戦に毎年なってくれることが僕の最大の夢だ。

1~3月の重賞
4~6月の重賞←イマココ
7~9月の重賞(未投稿)ちかいうちに
10~11月の重賞(未投稿)

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