唱歌ふるさとの「うさぎおいし」に迫る~子供の脚でウサギを追えるのか?~

投稿日:2023/08/03

走るウサギのイラスト。

8月1日に続き、8月2日はバニーの日ということで、コスプレをした美人のチャンネーがタイムラインを沸かせたわけですが。

そういえば今年って兎年なんですよね、兎年のバニーの日。
ならウサギに関する何らかの記事を書きたいなと思い、以前より温めていたやつを今日はひとつ。

今回のテーマは、ウサギが登場する曲のレジェンド、『ふるさと』だ。
あの曲の冒頭、「うさぎおいし・・・」というフレーズのことなんだが・・・。

この記事は7分ぐらいで読めるらしいですよ

野生動物 vs 人類

もちろん既に日本中で古くから擦られに擦られたであろう「ウサギ美味しい!?」のウサギテイスティーグッドネタはやりません。
僕が気になるのは、本当に人間の脚、しかも子供の脚でウサギを追えるのか?ということだ。

動物に勝つ、ということは、どんな分野においてもかなりハードルの高いこと。
漫画『空手バカ一代』の主人公にもなった実在の空手家、極真空手の創始者・大山倍達は猛牛相手に戦い勝利した伝説をもつ一方で、猫の強さを自身の著書で紹介していた。
後年、人気格闘漫画『刃牙』シリーズの作者・板垣恵介も、自身の漫画に"大山の言葉"として

「人間と猫が檻の中で戦ったなら(中略)ヒトは日本刀を持って初めて対等と言えるだろう」
と取り上げている。
この言葉が大山本人の発言であったのか板垣の創作であるかは不明だが、とにかく大山が猫の力を評価していたのは事実のようだ。
確かに小柄とはいえ爪や牙を持った動物。侮れないだろう。

では、戦うのではなく走るというのはどうか。
走る動物と言えば馬、競走馬だ。競走馬の平均的な速度は60km/h前後であり、最後の直線でのラストスパートでは70km/hを超すこともある。
対して、かのウサイン・ボルトの100mでの世界記録は平均速度37.6km/h、最高速度は44.7km/h
平均速度は原付バイク(50㏄以下、法定速度30km/h)よりも速く、最高速度はイノシシ(45km/h前後)とほぼ同じ、といった数値である。
そう考えると、恐ろしく速い。
だが、当たり前と言えば当たり前のことだが、世界記録保持者でも、流石に馬には勝てないのだ。

中には弱い馬もいる。日本の地方競馬で負け続けたことで有名になったハルウララ、それとほぼ同時期に「アメリカ版ハルウララ」とも呼ばれるジッピーチッピーという競走馬がいた(そもそもジッピーチッピーの方が先なのでハルウララの方が「日本版ジッピーチッピー」だった)。
そのジッピーチッピーは、人間相手(プロ野球選手(メジャーリーガーではなくマイナーリーガー))と40ヤード(36.58m)競走を行い負けている。馬のほうが負けたのだ。
(ジッピーチッピーがスタートで出遅れたのと、普段1000m以上を走る競走馬とダイヤモンド(ベースランニング)一周で約110mの野球選手では競技性の違い的に比べようがないとはいえ)

しかし『ふるさと』は故郷への思いを歌った歌。
聞いた人が歌詞と自身の幼少期を重ね合わせ郷愁に浸るのだから、言わばあるあるネタのようなものでないといけない。ボルトのような「超人」の話はしていないわけだ。
アスリートではなく、普通の子供・・・小学生ぐらいがウサギに勝てるのかどうかを調べてみる。

ウサギ vs 小学生

日本には北海道に生息するエゾユキウサギとエゾナキウサギ、奄美大島・徳之島に生息するアマミノクロウサギ、そして幅広い地域に生息するニホンノウサギの四種類が生息しており、中でもニホンノウサギは四国・九州・本州太平洋側に生息するキュウシュウノウサギ、本州日本海側に生息するトウホクノウサギ、佐渡島に生息するサドノウサギ、隠岐諸島に生息するオキノウサギと四種の亜種が存在する。

幅広い地域に生息していることや、ふるさとを作詞した高野辰之が長野県出身であることを踏まえると、ふるさとに登場するウサギはニホンノウサギをイメージして作られていたといえるだろう。
(ちなみにニホンノ・ウサギではなくニホン・ノウサギです!)

そのニホンノウサギの走る速度だが、広島大学デジタルミュージアムの記事によると、その最高速度は80km/hに達するそうだ。
下手すりゃ競走馬よりも速い。ボルトですら勝てない。これは追えませんわ
あくまでこれは瞬間最高速度であり、常に80km/hで走り続けることはできず、持久力がないためすぐにバテる。
すぐバテるから競走馬と同じ距離を走らせたら競走馬の圧勝、ということは想像に難くない。
ただ、すぐバテるといっても80km/hを出せる動物に対して、人間の子供が普通に走ったら追いつくことはたぶん不可能だろう。
スポーツ庁が行った2019年(令和元年)の体力・運動調査の、50m走の平均タイムは、小学校6年生(12歳)の男子で8.42秒。時速に変換すると約21km/h
これでは80km/hに到底追いつけるとは思えない。

家の中でテレビゲームして遊ぶ現代の小学生と、野山を駆け回りウサギを追い回していたフィジカルエリートの約100年前(ふるさとが作られたころ)の小学生・・・
体格や用具(靴)は現代の方が優れているから一概にどちらが速いかは言えないが、少なくとも後者の方が持久力はあっただろう。
しかし、うさぎがバテて追いつくころには、子供だって流石にバテているはず
『うさぎとかめ』だって、うさぎはバテたからかめに抜かれたのではなく、慢心し手を抜いたから負けたのだ。
しかもこれは競走・スポーツではない。追うのは人間、敵性生物だ。野生生物が敵に追われて手を抜くはずはない。本当に体力が尽きるまで走り続けるだろう。

これらのことから、「小学生ぐらいの子供が、だだっ広い平地でウサギを走って捕まえることは、単独では不可能である」・・・僕はそう結論付けた。
地理的な利(逃げ場のないところに追い込むとか)を活かして捕まえることは出来なくもないかもしれないが、体格的にウサギの方が有利だと思われる草木が生い茂った場所、互いに有利不利のないであろう遮蔽物も何もない広い草原などでは、子供に勝ち目はないと思う。

ただ僕自身が「家の中でテレビゲームして遊ぶ現代の小学生」だったし、高校時代は運動部のくせに帰宅部の中の帰宅部(運動苦手な帰宅部)に対して100m走で負けるぐらいの鈍足中の鈍足なのでそう思うだけなのかもしれない。
もし「小学生のころに単独でウサギを捕まえた、しかも壁際に追い込んだりせず純粋に追いついて捕まえた」という武勇伝をお持ちの方がいたらコメントかなんかで教えて欲しい。何もあげられないけどめちゃくちゃ褒めます。

結局「うさぎおいし」とは何なのか

子供ではウサギに走って追いつくことはできないし、捕まえるのも単独では不可能に近い。
しかし子供でも大勢であればウサギを捕まえられるだろう。
熊本県の産山村では、伝統行事として『うさぎ追い』が行われている。
子供達(とその親)が竹の棒を持ち、声を上げながらウサギを追いこんで捕獲するのだ。
どうやら動物虐待だとSNS上で批判され2024年は開催されないらしいが・・・その是非はひとまず置いといて、大勢で追い込めば例え子供だろうとウサギを捕まえられることはこの行事からも分かるだろう。
これならば走ることなく捕まえられるし、小学生だけでやってもいけるはずだ。

ふるさとを作詞した高野辰之も、ある論文(pdf)によると、先述の『うさぎ追い』同様に「生徒たちが手を繋ぎながら声を出し、ウサギを追いこんで捕獲し、その後捕獲したウサギを兎鍋にして食した」幼少期の思い出があるらしい。
ということは、「うさぎおいし」は「走って追う」わけではなく「大勢で追い詰める」という意味をイメージして作られたものだったのだ。

ん・・・?兎鍋にして食した」・・・?
・・・じゃあ「うさぎおいし」は「ウサギ美味しい」とのダブルミーニングの可能性も普通にありえる話じゃん!!!!!間違いとは言い切れないじゃん!!!!!ウサギテイスティーグッドじゃん!!!!!
これからはふるさとの歌詞を「ウサギ美味しい」だと思っている子供達に対して「それ意味間違ってるよ」と言い切らないであげてください。
「こういう意味もあるよ」と、ダブルミーニングとは何たるかも踏まえて教えてあげましょう。

例え、ウサギを追わなくても

「うさぎおいし」の真の意味は「うさぎを大勢で追い、捕まえること」が有力。
しかし「走って追う」の可能性もあるし、よく間違いとされる「ウサギ美味しい」可能性としてはなくはない。最大トリプルミーニングの可能性もありえる。
ただし子供の脚力では走ってウサギに追いつくことは困難である。

・・・これが僕の出した結論だ。

しかし、忘れてはいけないことがある。
ウサギを捕まえるのは一人ではできない。ウサギを捕まえたときも、捕まえたウサギを食したときも、いつも隣には学友たちがいた。
その行為自体ではなく、友達と過ごした日々・・・それこそが重要だということだ。

日常的にも伝統行事としても『うさぎ追い』は姿を消そうとしている。
現代の子供達は外で遊ぶことも少ない・・・いや遊べる場所も少なくなってきている。
もはや家の中でテレビゲームというのも古いのかもしれない。SNSやインターネットに幼少期から慣れ親しんでいる時代だ。

だが、その姿形は変われど、友人たちと遊ぶということが失われたわけではない。
学校終わって友達の家でスマブラやりました、カービィのエアライドやりました、これだって立派な幼少期の思い出のはず。
「スマブラやりし田中君の家、エアライドやりし佐藤君の家」でも別にいいんだ。それが僕たち世代にとっての『ふるさと』なのだから。
そういう郷愁を感じるからこそ、大人になって「エアライド移植・リメイクしろ!新作作れ!」となるわけで。言ってみればエアライドもまあ追うゲームだしウサギ追いと競技性変わってないし・・・?

今の子供達はどうなんだろうか。
ゲームと言ってもオンライン対戦となれば、見知らぬ誰かと遊ぶこともできるわけで、そう考えると故郷の友人たちと思い出を作る機会は少なくなっているのかもしれない。SNSやインターネットも同じだ。
一方で、友達の家に行かずとも、オンライン対戦ならば互いの家にいながらでも遊べる。大きくなって離れ離れになっても、今の時代ならSNSやインターネットで連絡を取り合える。
これを一概に「悪い時代」と切り捨てられはしないはずだ。

故郷の友人とのかけがえのない幼少期の思い出・・・。それが作れればウサギを追うことがなくても「ふるさと」の素晴らしさは失われることはなく、これから先、次の100年へと受け継がれていくことだろう。

・・・そんな綺麗な感じにまとめて終わろうと思います!

注目の投稿

「乳首」ってよくよく考えたらおかしくない?「乳頭」でいいじゃん

昨日は8月1日。 パイ・・・ということで、ツイッターのタイムライン上はアイドル達の水着写真などで賑わっていたが、それを眺めながらふと思った。 なんで「乳首」は「乳 首 」と呼ぶのかと。 ※あくまでこの記事は言葉の意味を考える話であって成人向けコンテンツではありません、お子様でも安...

ブログ内検索

ブログ アーカイブ

Powered by Blogger | Designed by QooQ